歳をとると残りの人生を考えるものだけど、僕がいう「残りの人生」とは死ぬまでの期間をいうのではない。自分の脳ミソがうまく機能しなくなるまでの期間である。
脳ミソはゆるやかに死んでいく。何事かをなそうとするために必要な脳ミソの寿命は、あと10年がいいとこだと思っている。フツウに仕事をしフツウに生活をするためだけなら、あと20年や30年はやっていけるかもしれない。でも、そういう脳の使い方とは別の、「何事かをなそうとする」ための脳は、あるいはすでに死んでそれに気づいていないだけかもしれないし、まだ残っているとしてもやはり10年も猶予はないに違いない。
石原慎太郎74歳。
この人の政策や考え方は賛成できないことが多い(とはいっても、彼の政策や政治哲学がどういうものか実のところほとんど知らない)。でも、「いい・悪い」は別にして、彼の言動には信念があり、それは「老いの一徹」とは違うもののように思える。つまり、脳ミソが生きているのである。経験や慣れによる思考パターンでなく、己の頭から産まれ出た思想なのだと思う(だからといって、その政策が「いい」というのではないけれど)。そういうところが、彼のいうところの「大衆」にウケる一つの要因だと思う。
ここ2年間、70前後の弁護士や大学教授と一緒に仕事をする機会が多くて、みな頭もよくて知識も経験も豊富なのだが、「脳ミソ、固くなってませんか?」と問いたくなることもしばしばあった。
僕の脳はいつまで元気でいてくれるのだろうか…。脳ミソに柔軟性がなくなっても自分ではそのことに気づかないだろうし、ひょっとして、もう死んでる?