『ゆれる』

ゆれる [ 西川美和 ]

ゆれる [ 西川美和 ]

心の揺れをうまく描いた作品。しかし、それに固執しすぎせいか、それともただ僕の頭が悪いせいなのか、終盤のストーリーがよく理解できないでいる。
山梨の田舎町で父親が経営するガソリンスタンドで働く兄と東京でそれなりに売れているカメラマンの弟が主人公である。兄は地味でまじめ、弟は奔放な二枚目。母親の葬式のために弟が帰省し、兄と兄弟の幼なじみの女から渓谷へ遊びに誘われる。女はガソリンスタンドで兄と一緒に働いているが、弟が地元にいた頃は弟と付き合っていたらしい。そして、女は渓谷にかかった吊り橋から落ちて死ぬ。
映画はまず兄が女を突き落としたことを示唆し、弟はそれと知りながら兄を庇う。罪の意識に苛まれる兄を弟が励まし、兄はやがて巧妙な嘘の証言を繰り出し始める。無罪を願っていたはずの弟は、そんな兄の姿にだんだん失望していき、ついに裁判で真実を証言する。
という話だと思っていたのだが、どうも様子が違う。どうやら事実は、女は兄に突き落とされたのではなく自ら誤って落ちたらしい。「らしい」というのは、映画が最初はどう考えても兄が突き落としたとしか考えられない描写をしていたのに、あとになって兄が女を助けようとした証拠が観客に示されるからである。「証拠」というのは兄の腕に残る女の爪跡であるが、これは兄の裁判の証拠として持ち出されるのではなく(警察も検察も爪跡に気づかないというのは不自然ではあるが)、兄が女を助けようとしたことを観客に対して知らしめる「証拠」という意味である。
ここで観客の一人である僕は、兄が女を突き落としたのかそうでないのか分からなくなってしまった。どちらも事実であるかのような描写を映画がとっているからだ。
もしも女が事故で墜落したのなら、弟はなぜ兄が突き落としたと嘘の証言をしたのだろう。事故の発端(吊り橋の上で女の肩を掴んだ)となった兄に対する怨みか?でも、弟の女に対する愛情がそれほど強いものだとは思えない。女への弟の愛情はせいぜい「揺れ」ているくらいのもののように思われる。
逆に、兄が女を突き落としたのが真実であるとすれば、どうして映画は兄の腕に残った爪跡を観客だけに示したのだろう。その爪跡は兄が無実であることを示す、観客への「証拠」なのだから。
まさか映画は、心の揺れだけでなく真実さえも揺れるとでも言いたかったのだろうか…。
こういう矛盾を感じてしまうのはたぶん僕の理解力不足なのだろうが、少なくとも心の揺れを描いた部分だけでもこの映画は十分評価できる佳作である。


と、ここまで書いてふと思い出したのだが、弟は兄の腕に残った爪跡のことを知っていたのだった。ということは、やはり兄が女を助けようとしたことが真実であり、兄が女を突き落としたと最初に観客に思いこませるようとする映画的策略に僕がはまっただけのようである。であれば、弟は嘘の証言で兄を懲役7年の刑に陥れたわけだ。
…でも、まてよ。じゃあ、出獄のときに弟が迎えにいく最後のシーンの意味はなんなんだ?
ああ、ぼくの脳みそが「ゆれる」…。