『リアル』

リアル (6)

リアル (6)

週1ペースでTSUTAYAに行っている。DVDを1,2枚借りて、レンタルコミックコーナーで立ち読みする。最近、『リアル』を読んでいる。今日、6巻まで読んだ。
身障者バスケという、(こういう言い方はよくないかもしれないが)マンガにはなりにくいテーマを面白く描いている。作者はたぶん取材したんだと思うが、身障者の心情をちゃんと把握している。ただ、それをどこまで作品に反映するかは別問題である。
マンガでも小説でも映画でも演劇でも、その作品を公開することでたとえ一人でも傷つく人がいるとすれば、その作品を読むことで何百万人の人が感動するとしても、傷つく一人のために公開すべきではないという考え方がある。
作者の井上雄彦は、僕の想像では、どこまで障害者の苦悩を描いていいのか、描くべきなのか、悩みながら作品を作っていると思う。
足がないことと下半身不随との決定的な違いはセックスができるかできないかだろう。その違いを描くのか描かないのか、僕は気になっていた。そして、6巻で、井上は描いた。セックスできないという哀しみを描くことで、このマンガを読む誰かが傷つくかもしれないことに無頓着ではいられなかっただろう井上。あなたはそれでも描くことを選んだ。描くことの苦悩が読む者の苦悩に対する免罪符にはならないことも分かっているであろう作者が、それでも描いたということは、表現者としての業がそこにあったのか、それとも哀しみを超克する何かを提示できる自信があったのか。