命の値段

コンビニのレジ横に募金箱があった。海外で心臓移植を希望しているある男性を支援する募金だった。あと5000万足りないとのこと。お釣りを少しだけ入れた。人口十数万のこの町の全住民が募金したとすれば一人400円でいい。全県民なら2、30円かな。
もしも募金が足りなくて手術が受けられなかった時、支援者はどうするのだろう?「やるだけやった」と満足することのできない話だし、「もっとできなかったのか」と悔やむのだろう。5000万というのはとても高額だけど、やり方次第では届かない額じゃないというビミョーさがある。例えば、それが自分にとって大切な人だった場合、家を売ったり(持ってればの話だけど)、親戚や知人からお金を借りまくったりするだろう。そうすれば、届きそうな気のする額である。極端なモノの言い方をすれば、生命保険に入ってれば自殺することによって手に入る額かもしれない。
だから、5000万に届かなかったときに「自分の努力が足りなかった。自分が殺したのと同じだ」と思いつめたりしたら二重の悲劇である。…と、やさしい言い方をする気はほんとはなかった。他人の命に対してどこまで人は本気で助けることができるのかを問いたかった。
俺がその人を本当に助けたいと思えば、百万単位の金を準備できるだろう。借金する覚悟があれば1千万かき集めることもできるかもしれない。そんな人間が5人いればこの人は助かる、少なくとも手術を受けることができるのだろう。でも、俺はそういうことをしないし、他の誰もそういうことはしないと思う。
あと5000万集まれば悩む必要はない。別に悩んでいるワケでもないけれど…。