哀しみ。

土曜日の朝日新聞森達也さんからあなたへ』。たぶん、「あなたへ」というタイトルに押し付けがましさを感じて本文の方は読まなかったようだ。本文を読む前で内容もわかっていないくせに「そんなこと言われたくない」と反発したのだろう。新聞記事を読む・読まないはそんなところで決まったりする。
読んでみたら少し切なかった。どちらも自分だった。愛想笑いを浮かべるオヤジ、そして、たこ焼きを買わなかった主婦。でも、オヤジが主婦の立場だったら買わずに立ち去り、主婦がオヤジの立場だったら愛想を振りまいただろう。
コラムはオヤジの哀しさに焦点を当てている。買わなかった主婦を非難してるわけじゃないけど、食中毒を出した店の商品を買わない主婦は当然といえば当然だ。「たった一度の過ちも許さないのは心が狭い」と責めるわけにはいかない。事故が再発したときのニュースの常套句として「生かされなかった教訓」という非難が浴びせられるくらいだから。食中毒はたまたまのことで運が悪かっただけなのか、今はきちんと衛生管理がなされているのか、そういうことはお客には判らないのだから、少なくとも食中毒を出したお店でモノを買わないというのは正しい選択なのである。
話がズレた。
森さん。あなたが「買いたかった」のはなぜですか?オヤジが哀れだったのですか?オヤジが好きだったのですか?女の子が可哀想だったのですか?…たぶん、オヤジと女の子と主婦と、そして自分が哀しかったからじゃないですか?小学生だから無力なのではなく、お金持ちだったとしても自分が無力だということを知ったのだと思います。