北九州監禁殺人事件

精神的にまいる。
コンクリート詰め殺人事件のときもそうだったし、もっと古いところでは過激派だか日本赤軍だか忘れたけど山の中で粛清(総括だったか)という名の下にリンチが繰り返された事件もあったし、銀行に立て籠もった犯人が人質の行員に別の行員の耳を切らせたりとか…。
残虐な事件に触れると自分にはそんなことはできないと思う反面、はたしてそうだろうかという疑問も浮かぶ。事件に吐き気をもよおすのなら記事を読まなければいいのに、目が離せない。残虐に対する嗜好というものが人間にはあるのではないのか。相対的な幸せというものがあるとすれば、人の不幸は己の幸福である。
正常な精神状態の中では、法に触れるからという理由以上に残虐への嫌悪によって人はそのような犯罪を起こさない。でも、異常な環境の中では、嫌悪の情より残虐への嗜好が頭をもたげることはないのだろうか。いつ死ぬやもしれぬ戦場で集団的ヒステリー状態の中に自分が投げ込まれたとき、敵兵への攻撃はある意味仕方のないこととして、それ以外に残虐な行動はしないと断言できる自信はない。