杉村太蔵

ほんとにどうでもいいことですが、ちょっと言いたい。
今日の朝日新聞三谷幸喜のありふれた生活」をまず引用します。


(前略)
普段なら笑いなど起こるはずのない謝罪会見で、彼はしっかり笑いを取った。連休の間はずっと本を読んでいたと語り、何冊読んだか聞かれて「一冊」と答える。本のタイトルを聞かれると「プライバシーに関わることなので、答えられない」とかわす。以前のストレートな笑いから比べると、これはかなり高度なテクニックだ。
(中略)
「無理やり謝罪させられてかわいそうだという見方もあるが」という質問に対し、真顔で「全然かわいそうではありません」と答え、取材陣に笑いが起こった瞬間、彼の目に嬉しそうな光が宿ったのを僕は見逃さなかった。
(後略)


僕は、杉村太蔵に関しては『めざましテレビ』でほんの数分見ただけですが、三谷のエッセイとは全然別の感想をもった。
杉村が「笑いを取った」のではなく、杉村は「笑われた」だけのように見えた。ほとんどが失笑と苦笑だったと思う。あえて言えば、笑いたくなるシチュエーションになったことによって自然発生した笑いも混じってはいた。でも、それは、杉村が意図して作り出したものでなく、結果的にできてしまった「笑いたくなる雰囲気」の影響でしかない。
質問があって「一冊」と答えるまでの間(ま)は、笑いを引き出すための間ではなく、「連休は反省して勉強していたって説明したのに、読んだ本が一冊ってのは答えにくいなあ。ウソ言っちゃってもいいかな。でも、バレたらマズイよなあ」と頭の中でいろんな思いが巡っていたために偶々できた間だったと思う。
「プライバシーに関わることなので、答えられない」というのも、どうせ碌な本読んでないので答えられなかっただけのような気がする。
「全然かわいそうではありません」という回答は、「かわいそうか?」という質問に機械的に「かわいそうでない」と反語的に答えただけのもので、表現力の不足を露呈しただけである。
取材陣の笑いに嬉しそうな目をしたというのは、「え!? 俺ってヘボい返事ばかりやってしまって、更にツッコミがあるかと心配したのに、笑って許してくれたの? よかったあ」という安堵の表情に見えた。

だから、「かなり高度なテクニック」などではなく、杉村氏はただ「天然のおバカさん」だというのが僕の結論です。
一応言っておくと、僕は笑いのツボが狭い男です。『めざましテレビ』の論調も三谷の見立てと似たようなものだったし、爆笑問題の太田も同じような発言をしていたと三谷はエッセイ(というより「コラム」と言うべきか)の中で書いている。彼らの見方が正しいのかもしれないけど、「そういう風に見た方がおもしろい」っていう考えがあってのことのようにも思えます。
以上、どうでもいい話でした。