多数決

それがベストの方法なのかちょっと判らない。ほかによい方法を思いつきはしないけれど。
イラク憲法案の国民投票があった。どうも、シーア派クルド人は賛成、スンニ派とその他少数派は反対らしい。
例えば一般論として、51%を超える多数派があったとして、多数派の各個人がみんな自分の所属するグループが100%の利益を得ることができる法案に賛成するという状況にあるとすれば、なんか気分的にはイヤだ。自らのグループに51%の利益、他のグループに49%の利益をもたらす法案に賛成するのなら納得する。でも、民主主義のやり方では、過半数を占めるグループが100%の利益を得ることができるのだ。
イラクでは石油の利権がからんでいるらしい。シーア派クルド人が多くを占める地域では石油が産出するということのようだ。連邦制を敷くことでシーア派クルド人が石油権益を独占しスンニ派は恩恵に与らないとすれば、連邦制とはいえ一つの国家の中で地域的というか宗教的というか民族的というかよく判らないが、どのグループに属するかによって経済的恩恵の差は天と地の差になるのだろう。
自らの利益のために票を投じることは民主主義の原則なのかもしれないけど、他のグループが不利益を被ってさえも自らの利益を追求すれば歪みが生じるのは当たり前のことだ。歪みが進行すれば内戦勃発も必至である。それは、結果的には自らの利益ではない。他の少数派の意見(ぶっちゃけて言えば「利益」)も尊重することが長期的には自らの利益ではないだろうか。
思いやりが美徳である理由は、思いやることが最終的には自らの利益であるということだと、実も蓋もない言い方にはなるがそういうことだと僕は思っている。でも、人間という生きものは所詮おろかさから抜け出せないのだろうとも(哀しみとともに)思っている。