自殺の松岡農水相が遺書6通=安倍首相らにあてて−心肺蘇生かなわず・警視庁
 東京都港区赤坂の衆院赤坂議員宿舎1102号で28日正午すぎ、首をつっているのが見つかった松岡利勝農水相(62)が6通の遺書を残していたことが同日、警視庁赤坂署の調べなどで分かった。安倍晋三首相あてなどとしており、同農水相は発見時、パジャマを着たままの姿だったという。(時事通信)

政治家やその周辺の人(秘書とか)が自殺すると、つい、誰か黒幕がいるんじゃなかろうかと邪推する。「お前が捕まってゲロ(自白)したら困る人間が大勢いるんだよ。お前がなにもかも被って死んでくれたら、お前の家族は俺がちゃんと面倒みる。だが、お前が生きてつまらんこと喋ったら、お前だけでなく家族もみんな東京湾に浮かぶことになる。そのへんよく考えるんだな」なんて言われているシーンを想像するのである。
でも、どうやら今回はそんな事情はないようです。勝手にハードボイルドやってしまいました。ごめんなさい。



僕は自殺を考えたことがない。この世に生まれてン十年。辛いことや苦しいこともそりゃありました。でも、そんなときでも自殺するという考えを持ったことはありません。それを「お前は幸せなんだよ」と言われたくはないですが、とにかく死にたいと思い詰めることがなかったのは事実です。もしも、死のうかどうしようかと考え出したら、それだけで神経がやられてしまったでしょう。だから、そういうことを考えること自体やらないように自己規制しているのかもしれません。
それと、死への恐怖もあります。死ぬときの苦痛がイヤということもありますが、死ぬということが無、つまり何もない状態に還るということが怖いのだと思います。いままで生きてこの世にいた想いや思考が死によってプッツリと断ち切られ無に帰すということへの根源的な恐怖があります。
だからといって永遠の生を望むかといえば、そちらの方がもっと怖い。不老不死なんて死ぬより怖いと僕は思います。不老は望んでも不死は望みません。未来永劫生きなければならないことの方が死ぬことよりもっと恐怖だと僕は思うのです。