どちらかというとテレビって、リアルタイムで見るより録画で見ることの方が多い。今夜も1時から『シックス・センス』を見はじめてしまった。いくらCMを飛ばして見るからといっても、観終わるのは当然おそくなる。夜更かしの翌日が辛くなるのは分っているのだが…。


この映画は以前DVDで観たので、オチは分っていた。けど、分っている目で見直したらどういう映画なのか確かめたくて観た。
(以下、ネタバレあり)
マルコム(ブルース・ウィルス)が「妻と最近、会話がない」というのは、妻からはマルコムが見えないのだから話をするわけはないのであって、でも、マルコムはそうとは知らないのだから当然妻に話しかけて反応のない妻から無視されたとマルコムが思っているというかたちである。オチを知ってから見るとこのあたりかなり無理があるシチュエーションなのだが、映画的にはうまくごまかしている。コール(ハーレイ・ジョエル・オスメント)にしかマルコムが見えないのなら、マルコムはコール以外の人間とは会話が成立しないはずで、でも、マルコムは自分では普通に社会生活を営んでいるつもりなのだから、当然他者と会話をする機会があるはずである。しかし、映画の中では誰かと話をするシーンはなく、もちろん誰かに話しかけても誰も返事を返してくれるはずがなく、いくらなんでもそういうことが続けば、自分が他者から見えない存在だというのがマルコムにも分るはずである。
でも、そういう矛盾はオチを知っていればこそ持ち得るものである。映画の意図としては、妻がマルコムを無視していたのは本当はマルコムが見えていなかったからであり、コールはマルコムを霊として見ていたということを、観客がオチを知った瞬間に鮮やかに気づかせるところにある。その巧みさはそれ以外の矛盾を隠してしまうことに一応成功し、だからこの映画はヒットした。
そして、映画を観おわった観客は、映画が意図していない矛盾がなかったか思い返すという楽しみももらったのだが、それまでも映画が意図したものだとすれば感心するしかない(いくらなんでもそこまで狙ってはいないと思うけど)。