『日本の夜と霧』

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集団の構成員というものは、同じ目的をもって結集している。しかし、各構成員が目的達成のための手段についても同じ認識をもっているとは限らない。この映画では、平和で平等で自由で豊かな社会の実現を目指し、破防法日米安保条約に反対する学生たちが登場する。平和な社会の実現を否定する人はいないだろうが、その実現のために選ぶ手段は人それぞれ意見が違い、自分の信じる手段とは別の案を出す人間に対し、ときに人は暴力をもって否定する。
日米安全保障条約が日本の、あるいは世界の平和に寄与するものか、逆に紛争の種になるものか、実のところ僕にはよく分らない。この映画も日米安保条約の良し悪しをうんぬんする映画ではない。集団における心理的力学と良心と苦悩を描いている。
政治集団や宗教団体などある目的をもって集まった集団だけでなく、会社や役所や学校や草野球チームなど社会には無数の集団があり、集団にはリーダーが存在する。リーダーが誤った手段に走ったとき、それを止めることができるかどうかがその集団の健全性を示している。映画では、自分の意見を表す正義感と意見を否定される無力感が示され、別の場面では無力であるがゆえに黙っている人間に対する追及がある。オームや赤軍派みたいに反主流派に対する粛清や総括という名の暴力(それは殺人に発展することもある)はないものの、集団力学に翻弄される人間を描いていることに変わりはない。