夏休みでもないのに、このごろ宮崎アニメのテレビ放映が続いている。
宮崎駿作品は結構観てるけど、『ラピュタ』は僕の好きな宮崎アニメのトップ3に入るだろう。
宮崎アニメではよく少年や少女が主人公になる。少年は勇気があって行動力に富み、少女は純心で芯が強い。だから、意気地がなくてグズグズしてて不純で信念のない(僕のような)大人が宮崎アニメを観ると、現実の自分を忘れて楽しむことができる。主人公に感情移入することによって、自分にはない美点を一時的に得たような錯覚をする。
しかし、現実の自分と映画の主人公との乖離を意識してしまうと、宮崎アニメほど残酷な映画はない。主人公と真反対である卑小な自分を突きつけられるのだから。でも、それでは映画は興行的に失敗してしまうので、それらを意識させないために宮崎アニメでは現実社会とは違う架空の世界を舞台とする。つまり、現実から遠く離れることによって現実の自分を観客に意識させないための方策が講じられているのである。
こんなこと書いて、宮崎アニメを否定したいのではない。僕は、「アニメージュ」で『風の谷のナウシカ』を読んだときからのファンである。