大江健三郎

二十歳くらいの頃、僕は大江健三郎の小説が大好きでした。でも、大江が雨の木(レインツリー)やウィリアム・ブレイクや大江の長男光さんのことを小説やエッセイに書き出した頃からプッツリ読まなくなりました。その後、核や平和について述べることが多くなってからも同じです。なぜなら、大江が言ってる(書いてる)ことは真っ当だけど、僕が大江に求めているものはそんな真っ当なことじゃなかったからです。だから、大江の小説だけでなく、新聞に載っている評論やエッセイもほとんど読むことはありませんでした。以前、朝日新聞で「往復書簡」というタイトルで、外国の作家と交わした手紙を掲載していたり、最近では「定義集」というのも載っていますが、ほとんど読まずにいました。真っ当なことが悪いということではないけれど、大江の小説に溺れていた僕は正義や善とは別のものを求めていたからです。
今日(17日)の朝日新聞の「定義集」、久しぶりに大江の文章を読んでみました。…、ああ、やっぱり大江の文章はいいなと思いました。抑揚というかリズムというか、内容は別にしても文章として優れているなあ、という印象です。この文体で昔みたいなギラついた小説を書いてくれたら、もう一度読んでみたいと思いました。