生活保護

22日朝日新聞「焦点07知りたい―北九州相次ぐ孤独死
北九州市の保護行政をめぐり違法の疑いのある運用実態が浮かび上がってきたそうだが、僕の関心は、保護すべき人の全てを保護するために保護する必要のない人(もっと言えば、市を騙して保護を受けようとする人)までも保護してしまう可能性についてどこまで容認するかという点にある。
十年以上も前のことだと思うけど、西友で売っていた国産牛肉が外国産牛肉だと判明したとき、西友はお客の自己申告に基づいて返金をした(記憶が曖昧なので細かいとこは間違っているかもしれない)。普通ならレシートを持ってきた客にだけ返金しそうなものだが、西友性善説に立ったというか、多少の虚偽申告は織り込み済みだったのか、「私はおたくで肉を○○グラム買った」と言う者の全てに対して返金をした。すると、返金額は売った肉の何倍もの額にのぼった。そして、それは収束には向かわず拡大する一方だった。たまらず西友は返金の方針を撤回した。もちろん、非難する人間は多くいた。怒鳴ったり喚いたりする人間―自称「店に騙されたお客」―が殺到し、混乱した。しかし、世間は冷ややかだった。「店に騙されたお客」のほとんどが「店を騙そうとしている自称お客」であることが明らかだったからだ。
「店に騙されたお客」の全てを救済しようとすれば、「店を騙そうとする自称お客」に騙されることを甘んじて受け入れなければならない。北九州市の例を西友の例と重ねることは乱暴だろう。少なくとも、記事になった事案については市の怠慢だという謗りは免れないだろう。しかし、市役所で怒鳴ったり泣いたり騙したりして生活保護を受けようとする市民だっているんじゃないの、とちょっとは言ってみたい。もちろん、そんなこと正面切って言えるわけはない。それに、適正に運用する努力によって騙そうとする市民を排除することができる、というのが正論でもある。しかし、年金問題の解決に向けて政府が性善説に立って救済しようとしている現状をみれば、それは、保険料を払っていない人間の一部がこのチャンスに年金を騙し取ろうとすることを妨ぐことができないということであり、それはそれで仕方ないと政府が覚悟を決めたということなのだろうか。それとも単に選挙向けのアナウンスなのだろうか。